
2024,12,14〜
ちょっと気分はブルー
でもそれは
デュラチャ(仮)の掲示板です。雑談、イラスト、小説投稿、待ち合わせ、悩み相談等に利用してください。基本的なルールやマナーを守れない方はご利用できませんのでご了承ください。
@モス
考えてもしゃあないから考えんとこ
知っとく程度でいいよ
たぶんそれが大事
@灰人death
マスターベイトな気分ではいるかも
自己愛撫的な
その愛をもう少し他者に向けられたら
例の車輪の件
車輪が自分だとして、確かに@teruさんの言う動力(エネルギー)は欠かせない。エネルギーが生まれない限りは車輪も進まないように思う。その意味では
【 エネルギー → 車輪の回転 】
一方、@蛇さんに教えてもらった「車輪(チャクラ)はエネルギーを回す」ということなら"エネルギーとは車輪を回すためにあるのではない"。エネルギー(プラーナ)が川のように総量があるもので、それらを流し循環させるための歯車装置としての車輪があるということか。
その意味では
【 車輪 → エネルギーの循環 】
2つの考え方がある中で、少なくとも昨日から感じていることとしては、私という車輪が前へ進んで(いると思っている)いくためには、ガソリン由来のエネルギーでも車輪自体の動力でもなく、設置している道路という外的環境に左右されているのではないかということ。
これは決して落下ではなく、タイヤが滝登りをする頑張る絵にも見える
@名無し
たしかに!その視点
矢印をつけてないのに、脳が勝手に方向づけ、時間軸を決めていた...
これも刷り込みなのかもしれない
落ちるのは簡単なのに、上がるのは「頑張る」という言葉を使ってしまうほど、頭で描くイメージの中ですら困難だ
そして何より、自分が車輪なら他人もまた別個の車輪であり、2人以上で動くときには車軸を通して動力、方向、回転を合わせる必要が出てくる...
これが究極に難しい...
勢いよく音を立てる洗濯槽も氷上でスリップするノンスタッドレスも、はたまた専門用語の飛び交う異種業の説明を受ける時の頭も空回りしている。
これほどまでに「回る」ことが生活につきまとい、回るためには設地して噛み合うためのサーフェス(表面)がダイレクトでないといけない。そこにズレ(すきま)があると、空回りする。
色々調べていると、川の基本構造というのか
「はやせ」は底が浅く幅が狭いのでとても速く流れるが、一方で「淵」など底が深いエリアにはエサが多く魚などの水棲生物が溜まる。
勝手に「流れてることが良し」と思っていたのだが、そんなに安易じゃない自然は。溜まりや淀みにこそ生物は棲みつきそこを楽園として豊潤な恵みをもたらす。そういうつもりで今を味わおうと思う。
あとは脳汁な笑
熱力学の基本原理に反しているため
永久機関とは、外からエネルギーを与えなくても、何らかの仕事をし続ける装置のこと。これが成り立たない理由は、19世紀に確立した熱力学の基本原理に反しているためだ。例えば、何かを動かすと摩擦などのエネルギーロスが発生する。これをゼロにしないと、追加のエネルギーなしに動き続ける機関はできない。空気抵抗も摩擦もない天体の公転や自転は、仕事をしていないので永久機関とは呼べないが、原理的には永久に続く運動だ。だが実際には他の天体からの重力などの影響があるのでいつかは停止する。
また、一連の流れ(系という)ではエネルギーの総量は変化しないというエネルギー保存則(熱力学第一法則)も、永久機関ができない理由の1つ。外に対して何かの仕事をするにはエネルギーが必要だから、それを外から持ってくる必要がある。だからすべての機関で、エネルギー源が尽きれば運動は止まるわけ。
他にも、すべてのエネルギーは高い状態から低い状態に向かって変化し、この逆を行うには別のエネルギーが必要になるという法則(熱力学第二法則の大枠)もある。何かを動かしてエネルギーが熱になってしまうと、それを集めてまた利用するには別のエネルギーが必要だ。このようなことから永久機関は不可能とされているが、議論はまだ続いている。少なくとも永久機関を求める人類の工夫が、熱力学を発展させてきたことは確かだ。
この歯車が美しいか醜いかでも変わってくる
メンテナンスして美しく保つ必要があるね笑
ここは知恵遅れと醜い人しかいないから無駄だよ?笑
世界は広いんやからもっと美しい世界を見た方が良いと思う。
俺はずっと醜いって言い続けてきたやん?
困ってる人がいても見てみぬフリするような場所やん?笑
これは答え出たやろ?
錆びた歯車の集まりとも言えるな笑
そんなとこにいるようでは美しくはなれないよ?
醜い場所が好きならいいけどね笑
それに気付けないのは知恵遅れということやし
それに気づいてまだいるなら醜い環境でしか通用しないって諦めやろね?
これ以上言っても無駄っぽいから辞めとくけど笑
自分で気づかないと周りに言われても意味ないと思うし。
ずっとまともなの俺しか居ない言ってたのはこーゆう事ね笑
困ってる人にも手を差し伸べてきたし笑
@teru
わかりやすい!ありがとう
@teru
スッゲーわかりやすい
力になれて嬉しいよ☺️
ここくるとすぐ嫉妬されるからまたね笑
デュラチャに来るやつがまともかね(笑)
No.3971427もまともではないわけね
まともにこだわるねえ
はーつかれた
こんばんは お邪魔します
唐突ですみません
上記の話とはすこし路線変わるかもですが、指先からの連想です 指の先っぽが 平たくなくて、丸いのは何かそこはパワーが入りやすいように
なのかな
指の先だけじゃなくて。人間て身体の先端は丸くなってますよね。
手の指先と足の指先だけにあるぐるぐる渦巻き🌀の指紋て、あれ 何なんでなの?やっぱりパワーと関係あるのでしょうか
運の量に上限はない…羽生善治と藤井聡太に共通「いい運の流れ」を持つ人の"綿菓子のように軽い生き方"
羽生善治「直感の7割は当たる」は本当か
大きな運に恵まれたことで自分を見失ったり、驕おごって油断したりして、その後に運に恵まれない人生を歩む人はたしかにいる。だが、「あんな成功をしてすごいな」と周囲から思われる人が、上昇気流に乗ってさらに大きな成功を手にすることはいくらでもある。
自分を正しく持ち、しかるべき行動を重ねていけば、運は枝葉を伸ばすように大きくなっていく。運とのつき合い方がうまければ、運が運を呼び、運が自動的に増殖していくような人生を歩むことができるのである。
固定観念が心を重くする
運の入口を増やすためには、どのように意識や行動を変えていけばいいのか。基本姿勢や習慣はどうあるべきか。その要かなめとなるものは何か。
ひとつは意識によって生まれるさまざまな「思い」をどう扱うかが、重要なポイントになる。「思い」というものは、重く持ってはいけない。あくまで軽く持つようにしなくてはいけない。
心は思いを深めるほど重たくなる。ひとつのことをずっと考え続けたり、何度も無意識に反芻はんすうしたりすると、強い思い込みになる。そうやって思い込んだものは固定観念となって、心の底に沈んでいく。
底に固定観念という思い込みが堆積していくと、心はその重みで安定を増すかのように感じるが、それは錯覚にすぎない。周りが「ただの思い込みだよ、固定観念にすぎないよ」と諭さとしても、なかなか聞く耳を持たない。
だから、まるで錘おもりがついたかのように沈んでいる「思い込み」を引き上げようとしても、すんなりとはいかないことが多いのだ。
思いを軽く持つ
誰しも心の底に何らかの不安を抱えている。心というものはいつも揺れているのだ。そんな不安を覆い隠し、固定してくれるのが、思い込みであり、固定観念である。
だが、思い込みや固定観念というものは、強ければ強いほど、常に変化してやまない世界に柔軟に対応できなくなってしまう。そうなれば、運というチャンスが流れ込んでくる入口を自ら塞ふさいでしまうことになる。
また、「思いを重くしない」姿勢を常に心がけるようにすると、マイナスの思いに引っ張られない生き方ができる。
思いを重くしない、すなわち思いを軽く持つというのは、「ふと思う」というときの感じに近い。怒りや悔しさなどマイナスの感情が湧いても、束の間感じて後へさっと流すことができれば引きずることはない。
これが「思いを軽く持つ」ということである。
藤井聡太と羽生善治に共通するもの
棋士の藤井聡太さんは、負けたときに悔しい感情を引きずらないようにしている、と雑誌のインタビューで語られていた。敗因はむろん分析するが、次の勝負に集中するために感情の切り替えは素早くするという。
それが自然とできるのは、やはり思いを重くしない感性を持っておられるからだと思う。
同じ棋士である羽生善治さんとは、これまでに何度もお会いしているが、お話をうかがっていて言葉の随所に感じるのは、やはり鮮やかな感性ともいうべきものである。何十手先も読むような天才的な思考力と併せて、羽生さんはきわめて鋭い感性を持っておられるのだな、とお会いするたびに感じる。
ふつうの人ならそこまで高い確率はむずかしいだろうが、羽生さんは「直観の7割は当たる」と語っている。これも際立った感性がベースにあればこそだろう。
運の流れがよくなる「感じる力」
磨かれた感性を持つには、重たい思いに囚とらわれたりして必要以上にものごとを考えない習慣を持つことが大事だ。感じる力は、考えることに執着していては絶対に生まれないからである。
羽生さんの場合は、考えるべきときと感性にまかせるときとがバランスよく並んでいるのだと思う。
感じる力というのは、このように思いをどう持つかということに密接に関係している。
瞬間フワッと湧いてきて、またいつの間にか消えていくような綿菓子のような軽さ。そんな軽みのある思いを連ねていくように生きていければ、運の流れは間違いなくよくなるはずだ。
おもいは、元より重くも軽くもない気もする
感じる力が考えることの対であるとおもう
@名無し
やっぱ気になるよね
体の中で四角い部分ってないし、黄鉄鉱みたいのって特殊だよなあって
渦は本当に世界そのものなのかもとも
心と頭…(思考かな)に壁はありそうで、なさそう
モスさんは、ご自身の考えを言葉だけじゃなくて、絵や図にして描いたりするところ 凄いと思ってます …(いやぁ、なっかなか出来ないです)
直感て当たりますね
指紋と運に上限がある派とない派がいるが、死んだ時に振り返れば、呼吸回数や運や指紋など全ての量は決まっていたとなるから、無駄にしてはいけないなと思う。
渦巻きには底知れないパワーがあるって事ね!
もし、指先や身体の先っぽがとがってたとしたら…?握手出来ないじゃない
逆に 尖ってるものは相手を攻撃する物ですよね
仲良くするように輪になるように丸く作られてるように感じます
@名無し
その壁をなくせたらまた違うのかなあというのが今の僕の関心なのかも
この間までは、境界(サーフェス)にこだわっていて、境界面と深部の構造で、そこにすきまがあってズレていると思っていたのだけど
しわとしわを合わせて幸せとか言うけど
手は相手の手を温めるためにも使える
目的もなく画面やキーボードを触っていては無駄ということやね。
相手を傷つけるためにやってる人はかなり無駄やと思う笑
お前だよ?お前笑
長寿と短命は呼吸に関係あるそうね
長生きって、呼吸だとききました
このお前は誰の事かは自分の指紋に聞いてみてね笑
全て証拠として指紋は残るからね笑
それが年輪とかって自分にまとわりつくからね笑
@名無し
そうやね笑
頭良さそうやね笑
手は相手を攻撃する拳にもなるし、広げて受け止めることもできるし、
「手のひらをみせる」ともいいますね 何も防御しなくて大丈夫ですって証ね
指紋削りとることもできるけど
お互いそうなると素晴らしいと思う😌
誰を傷つける目的なんか持ってないです
モスさんの掲示板の書き込みに興味を持って
ここに来たの
@名無し
に言ってないよ笑
醜い荒らしがまだいたから笑
指紋は神経を研ぎ澄ましてチャンスを掴むためにあるんよ笑
指紋もそうだけど、先端てなかなか興味深いもの。爪あるじゃない? やっぱり防御ぷらす 攻撃の為かもよね
@teru
荒らしのことはスルーで
酷いこと言われたら気になりますよね、だけどそんなのに気使うのは時間とエネルギーの無駄だから
何かを掴みやすくするためやと思う。
攻撃でも防御でも。
ハグが一番やと思うけど笑
@モスさん
境い目や隙間も あったほうがなんか良くない?
今、ちょっと思ったことなんですが
「間」「ま」って。大事かもしれないって
変わってほしいって真心は無駄ではないと思う。なぜならその人が改心する事で自分の大切な人を守れるかもしれないよ?
包みこむことね @teru
私のマンコ舐める?
醜い人がいなければ助かった命は沢山あったわけで、その子孫まで影響してるわけやから。
気は、伝わるってこともおおいにありますね
指紋には魂や念が宿っていると言える笑
これが俺の固定観念やから
こんな考えはいつまでも囚われない方が良いと思う
完璧に醜い人、いるのでしょうか…
特出した醜い部分のせいでそうなったのでは?
指紋も遺伝するのかなって考えてた今
何を醜いと感じるかだよね。
どの視点から見るかでだいぶ変わってくると思う。
弱肉強食か宇宙から見るかでも違う。
遺伝するかもね笑
先祖の影響から今があるわけやし笑
@モスさん
頭脳だけはなくて、この世とあの世との間にも境い目みたいなのはありそう だけどそれも私達が考えてる程のものじゃなくて。オブラートみたいなサーフェスで。透けてるの
「間」には、「魔」もはいりやすいそうです
それならご先祖さまに感謝ですね色々な意味で
感謝して受け入れる心があると平和にもなるね笑
その心がある人は美しいって思える😌
その反対語は醜いだからね。
仕方ないよね。
弱肉強食っていうより 食物連鎖なのにね
普通に自然を考えると
何を美しいと思うかでも醜さは変わってくると言えるね。
そのサーフェス(この世とあの世の境い目の)はとってもシースルーなもの
だから 人間の心と頭のあいだのもそんなじゃないでょうか@モスさん
宇宙目線でみてるの?@teru
美しいと感じるその気持ちが美しい
これ、誰かの明言です
自然は美しいですよね 脅威でもあるけれど
モスさん、お邪魔しました
鯨を食べるのは醜いと思わないけど、人を傷つけるのは醜いって思うから何を守りたいかで変わるんやろうね。
生きるために食することは、自然
動物でも満腹のときには、襲わないのにね
人は、身勝手で残虐だと思ってしまう
@モスさん@teruさん またね
宇宙目線で見るようにはしてるけどまだ無理やね笑
最近は美しい自然だけを見ていたいって思うけど。
人の醜い欲望をあまり見たくないね。
心が荒むんよね。
またね。
今日も奇跡を感じれて嬉しい☺️
感性と運の影響と言える笑
ありがとう。
ちゃもんすあべっと
マトシュニアロージュ
d2
エシュモライラット
パツンバツンソ
ム -ム
もしももしももしも
もしもしも
もししももししももしもしも
もしも
ネンセラー HUHU
わでん
_ 3 _ 0 _ | | |||◾️
咲くパンド
kmp und agsturd mam?
ちらり
チラ
いやさかいやさか
最悪な夜だった。
枯葉のようにポロリポロリと記憶が剥がれて目の前に現れてくるから厄介。紅葉のように美しくない。寝る前に何をしていたのか、そもそもああいう結末を迎える前の俺の行動が本当に腐ってる。おそらくスタートは昨夜18時くらい。いや17時半くらいか。バッドトリップの滑り出しは最高のトラップのように滑らかに始まる。ちょっといいねご機嫌だねくらいのところから、しだいに牙を剥きはじめて行って、気づくと後戻りできないところまで来ていて。普段なら加減したり躊躇したりできるところを、迷いなくゴーンと、日産ゴーン!とアクセルを踏めてしまうから本当に危ない。現実という世界との調和には潤滑油になることもあるけれど、半分に一回以上の割合で適量を見誤るのが基本プログラムなので、賭け事のように長い目で見れば勝つことはできない。負けることを前提に飲むならばよしとする。それならば、最初から他人と関わっちゃいけない。それが酒。
スカイソング♫
(前奏:レゲエの雰囲気、単純な調子、オフビート)
だいじょうぶだ だいだいじょうぶ
だいじょうぶだ だいじょうぶ
だいじょうぶだ だいだいじょうぶだ〜
寝てなくても だいだいじょうぶ
忘れちゃっても だいじょうぶ
いえがなくても だいだいじょうぶだ〜
このリズムで、ひたすら繰り返す
後半は、起きてることを説明して、それにだいじょうぶを付け加える形のセット
【この曲について】
根拠なき自信。未来は前から来る。
僕はすぐ余裕がなくなりがちで臆病な性格で、それは前にも書いた通り私の弟か妹のスカイちゃんの気持ちを背負って2人で生きてるからなのだけど。現代は慌ただしく事が過ぎてすき間がなくなりがち。なんというか皆、不安や心配がデフォルトになってしまってる気がして。
なんならこの先、もっと悲しいことや辛い目に遭うかもしれない。そんな時に、この歌を聞いて「一体、何が大丈夫なんだ。目の前の現実を見てみろ」と怒る人もいるかもしれない。でも、悲惨な状況の時にこそ、心の余裕が一つもなくなってどうすることもできないほど辛い時にこそ、この歌を歌ってほしい。その怒りはきっと安心して笑える世界に戻ってほしいというとても強い願いの表れなはずだから。
この「だいじょうぶ」という言葉には二つの使い方があると思っていて。一つは「大丈夫?」という相手を心配して使うとき。もう一つは「大丈夫だ」と相手を安心させようと使うとき。これから大事になると思うのは、この上向きの矢印の「大丈夫↑」.なんだよね。
辛いことがあった人に「大丈夫?」と聞いてあげることは、あなたのことをちゃんと見てるよというメッセージを伝える愛に満ちた行為だと思うんだけど、同時にすごく相手に寄り添う言葉でもある。よく、落ち込んでる人に寄り添い過ぎてこっちまでウゥッ(辛)てなっちゃう時がある。ぼくは、辛い話に耳を傾けて哀しみのバイブレーションに共振してしまうなら、いっそ内容は右から左に流れても希望のバイブレーションで世界を震わせたい。
世界は変えられる。どうするかというと、哀しんでるあちらに合わせるのではなく、希望を持ったこちらに世界を合わせていくんだ。それがこの「だいじょうぶマーチ」の歌う狙いなんだ。
もう一つ大事なこと。これは信じるか信じないかは別にして、世界というのは我々が見聞きして感じている表面(サーフェス)にあるそれぞれが分離した明確なところから、さらに深いところがあると僕は思ってて。そこでは科学的な見方では説明しづらい繋がりがあって、そこでは Every thing is gonna be all right. というような本当に暖かくて幸せな世界がある。頭の中お花畑なの?ってツッコまれそうだけど、それって長年のこうでなければならないという自他の言い聞かせのせいかもしれない。
ただ、日頃の生活を送っている我々は言語的、科学的な見方でのみ世界を捉えようとしがちだから、残念ながらその暖かみを感じられない。こんなことを言う僕こそがガチガチの頭重心で生きてるから、本当にもうどれだけ鈍いんだよこいつ、センスなさすぎじゃね?というくらい"分かってない"。でもそれはそれでよくて、表面に届いた光は、表面があるからこそそこで屈折してスペクトルに分解されて、そのズレこそが美しい世界を魅せてくれる。
そんな世界があるのを日頃のニブいぼくに思い出させてくれるためのギフトがこの「大丈夫」という言葉だと思ってる。そう、すべて大丈夫なんだよね。もう、大丈夫なんだ(笑)
だいじょ〜ぶ 大だいじょ〜ぶ
だいじょ〜ぶ だいじょうぶ〜
だいじょ〜ぶ 大だいじょうぶ〜yeah
「だ」抜きver.
手拍子 or 会場コーラス
くだらん
私は暗くならない
1ハウスにPlutoなので、元々depressionの気を持ってる。でもそれはスカイのくれた刻印。だからこその大丈夫ソング。
そして暗くならないために、もう下らない。上にいることに決めた。
……
ハクナマタタver.もつくっておく
メモ
いらないいらない
風邪引いたっぽくて、全然大丈夫じゃない
いいねえ
「大丈夫ソングのネガティブな面」
あくまで、状態の良い時に悪い方に合わせる必要はないよ、という自分に向けて使うのが主旨。状態の悪い時に、大丈夫だからといって自他に働きかけて好転させられるわけではない。
例えば相談を受けてる時に、相談者が辛い気持ちを抱えてるのを無視して大丈夫だ!と言えば「この人何いってるの?大丈夫なわけないでしょ」と乖離してしまう。でも、相談に乗ってるこちら側までが気持ちを寄せて「大丈夫じゃないかも。もう終わりだ...」となることを相談者は期待してない。
これを言いたかっただけで当たり前のことかもしれない。特にプロのカウンセラーはここの訓練はマストでしていると思う。
そして自分が人に対して抱く根本的な不安や距離感、対人関係の不得手を、やはり同様に「大丈夫だ」といくら言い聞かせてもなかなか難しい。アファメーションなのかわからないが、ずっと言い聞かせてたらそうなるのかもしれないが、今日もずっと頭の中で「大丈夫だマーチ♫」を流してみたが、相手の一言一言が重みをもってこちらに突き刺さってくるしその場を離れられないしで、難しかった。
また午後に体調が悪化してからは、もはやその場にいるだけで精一杯で「大丈夫だマーチ♫」を頭の中で流すどころじゃなかったし、試みても死神ソングみたいな、亡霊のうわ言みたいな感じになっちゃってた。
この歌は救いの歌であると同時に、武器にもなる。瑣末な心配は無用の長物と思ったが、無神経な励ましは傷口に塩だった。個人の尊厳をどうやって守るかはテーマの一つだが、現実は甘くない。社会に悲惨な出来事は後をたたず見ないことにして生きることはできない。結局は自分のできることをやるしかなく、それをしてさえもなお、やっぱり自分は無力なのだということを思い知らされる。そこに納得できるかどうか、なのか。
@た★
漢方の相談ありがとう
自分用
なんかあれだ、自分が無意識にこれはできるとかやらなきゃと思ったことであっても現実はその限りではなく、自分ができることはもっと小さなことかもしれない。でもその小さなことを着実にこなしてーたとえ子どもの使いのようなことであってもー小さな満足感を手にしていることを続けていくこと以外に、この人生の充足を得る近道はないのかもしれない。
あと、暇よりも、やることがあったほうがいいのかもしれない。何もないと悩んだり不安になったりしてしまう。どうせ何もないのだから。そういう意味では、自分にとって適当なサイズのやることを断続的に自分に与える選択をいかに主体的に組み込むかというのがポイントなのかも。小石を並べていくようなものかもしれない。
取り合いするより仲良くしない限り君は永遠に1店舗
正しいことだと思っても、いつも手続きの過程で失速する
そしてまた嫌な思いをする
その繰り返し
ここから逃れたい
まあいいわ
どーせすぐには変わらない
またのらりくらりと低意欲で乗り切りつつ
時間かけてでも完了目指すしかない
@スカイ
ごめん
本当こんなことにはなりたくないけれど
まあ仕方ないよな
よくやったよな
もう仕方ねえよ
もう俺にはわからん
これが今回のマーズなのか
知らないけれども
何もする気が起きんね笑
ふー