またこの時期がやってきた。一年の中のカオスが秋から年末にかけて集中するというお決まりのサイクル。正直言って、毎年憂鬱でなんとか過ぎてほしいと祈りながらカレンダーをめくっている。今年も9月に突入してしまったので、残念ながら秋当事者として無事に正月を迎えられるよう日々を綴りせめてもの慰めとしたい。
20250908 皆既月食後の湿気た夜
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またこの時期がやってきた。一年の中のカオスが秋から年末にかけて集中するというお決まりのサイクル。正直言って、毎年憂鬱でなんとか過ぎてほしいと祈りながらカレンダーをめくっている。今年も9月に突入してしまったので、残念ながら秋当事者として無事に正月を迎えられるよう日々を綴りせめてもの慰めとしたい。
20250908 皆既月食後の湿気た夜
湿気ている。明日を想うのが嫌だ。
起きて洗濯をして、出張の荷物整理をして、フルーツを切って、コンポストを4週間ぶりにかき回して、コーヒー飲料を流し込み、植物に水をやって、掃除機をかけて、時間に気づいてzoomをひらいて、チャットに書き込みをして、今ここ...薄れゆく記憶を辿る、気分がすぐれない、イライラと頭打ち感がある、
@くもおう
それなりに行動できてるじゃん。何が問題なの?
@metaくもおう
気分が落ち着かない。やる気が出ない。沈んでる。
@くもおう
すぐに気分を変えることはできない。しばらく味わうことに専念してみて。感じるだけでいいから。何かをすぐにやろうとするほど焦るから、リラックスしてみて。
@metaくもおう
はあい
あれ...なんかおかしいな。何か食べよう。
毎年、特に2020年以降の秋シーズンはこれまでしんどい季節を過ごしてきた。物理的な忙しさ以上に精神的な嵐が何本も通り過ぎ、傷跡を色濃く遺していった。特に2020〜2022シーズンは不安定だった。頼まれてもあの頃に戻ってやり直したくはない。
そして今日も嫌な感じがまた頭をもたげてこっちを見ている気がする。だがしかし、こう考える。今年は特別な年。秋は隠れていた黒いモノが表面化していくと。それは悪あがきにも似ていて、去り際が一番暴れるものだと。だから、今の"この感じ"も、すごく嫌だなぁと思いながらもちょっと引いてみると「あぁ、これが表出する黒いモノね」という感じでやろうかと。
例に出せば、トランプさんがいつまでもこの世界を統治するとは考えにくい。でも今トランプさんが色々やってることは、世界の膿を出し切るためにやってるのだとも取れる。焦り、不安、切断、怒り、失意、絶望、様々な感情が浮かび上がるように、この秋のイベントはすべてプログラムされていて、まさにそれを味わい尽くすことが必要なのである。
表面を通りすぎる嵐に巻き込まれるのか、嵐が来るのが分かってて自分は辛抱強くグラウンディングするのか。私は人が根本から変わることはそうそうないと思っていて、皆それぞれに課題を持っていて、カルマを受け継いでいる。目の前のことに必死になるのが精一杯で、レベル差も方向性もまちまちで、だから世界はいつまで立ってもまとまらない。そういうものなのだと思う。
繰り返し繰り返しやってくるカルマに振り回されながら、この人生の時間を費やし、自分のミッションに向き合っていくしかできない。私にやってくる嵐は、執拗に同じことを何度も何度も瘡蓋を剥がしては痛いところを突いてくる。周りから見れば、同じ問題をいつまで立っても克服できてないように見えるだろう。
でも、焦るな。解決することよりも、味わい尽くせ。焦ったり急いだりすると、その嵐にいいように振り回されてしまうと思う。2020年から5年目にして、例年以上に憂鬱な気分を更新しているが、それでいい。特に今年はスペシャル。だからこそ、しっかり落ち着いてグラウンディングしなさい。
早朝の往復。無心。
スケールの大きい人と会っていると、自分のみみっちさに嫌気がさしてくる。しかし、それしかできない。それが大事。結局、自分にできることをやるしかない。自分のサイズ感で。事の大小だけでは必ずしも計ることができない。大は小を兼ねるのは事実だが。
やる気出ない。くもり
今朝も早起きできたが、その後の段取りおよび前日の段取り不足で、不審なサインが出ている
なによりも安全ケア、整え優先でいきたい
気持ち的には、神主さんのつもりで神社レベルの整えをしていく
自分がポンコツなのはいいとして、時として非人道的、人としてどうなのかっていうクズだと実感できると、これはもう
何もしてない
15:00以降...
自分はもう環境がすべて。ちょっとでも精神衛生上・物理的な不安があるとなかなか集中できない。これは良くないところ。鍛えるべきところ。
そのくせ移動が多いので困る。ルーチンが大事。
明日から2日間イベント。今シーズンの初戦。明後日の夜には息してないと思うけど、ひとまず生き抜くことだけを考えます。自分用。
っしゃーっ!雨男でも晴れ男でもない
イベントに必要なのは、ちょうどよい雲男だ!
1日目おわり。無。
もう何も思わなくなった。
このふりかえりの時間が一番苦手なんだよなぁ
昨夜は心が荒れていた。穏やかに1日を終えたい。
今日は微妙。下の上。いい感じ。無事終わった。無事終わりました。無事に。なんとか。無傷って言ってもいいくらいで。いいじゃん。やるじゃん自分。え、そんなことないよ。普通だよ。いやいや、そのコメント出るなら上の上じゃん。そーだね、なんででしょう。暑かったからじゃない?寝不足だったけどね。昼くらいから気になんなくなったね。やっぱ、午後の会場作り始まったからじゃない?そーね、外だし暑かったじゃない?暑かったって2回言ったけど。無我夢中だったね。緊張してたし。いやわかんないな。いつもなら引くのにな。場の力かもね。そうそう、外が好きなんだよやっぱ。なんだその結論。
まあ油断できないよね。何にもしてないからね、言っても自分。なんにも。マジで何にもしてない。何にもしてないからいいんだよ。なんだよそれ。何にもしてない。うまく逃げてる。逃げ方知ってるね。車を動かしたり、買い出ししたり、うまいこと避けてる。悩んだらダメだよ悩んだら苦しくなる。悩みたい?いいや。悩みたくない。考えたらさ、苦しいんだよ。現実を一枚一枚めくって見るように。現実を知ったら「ひぇっ」ってなる。変な汗が出る。バカでいたい。マジックだよマジック。最初のインストールがうまく行ったから、全部うまく行ったんだよ。心の中に温かいものがじんわり灯る。それがあれば、割とよくなるんだよね世界が。見ないようにしてるけどさ、カッコつけて嫌がってるけどさ、結局そういう温かいものがシンプルに中心なんじゃない?いやだなぁ。だって、頭で色んな考えが巡ってもさ、身体的になんか言葉にできない安心感、同じ生物としての温度、気を感じたら、なんか色々言ってるけどみんな違うとか、みんな一緒なんじゃないかって。
やべ
ひとまず、これで数日は安泰と思い込む。
19日に移動。16,17,18...明日、明後日、しあさって...。
明々後日に移動か。その前にしておかないといけないのは...。
生命の危機でいうと、メガネを買いたい。ほかはどうにでもなる。
急遽、知人を泊める。リズム崩れる
「拝啓、○日前の自分」というシリーズを作ってみよう。
たとえば、
「拝啓、1日前の自分。
明日、君は変なタイミングで目覚め、9時からのオンライン会議に遅刻し、うだうだとした後、一件の簡単な登録作業を終わらせ、午後は役所に法人書類を取りに行き、不調を存分に味わいながら、夜に遠方からの友人と食事をした流れで家に泊め、リズムを崩して悶々とし、ベッドで着想のスケッチを描きます。そして零時前になって漸く送付状をこしらえポストに出しに行くだろう。
終始やる気のなさに悩み、タスクの意義について気を重くし、憂鬱な1日になるからね。」とか
未来のことは分からなくても、過去のことは明白だ。しかしながら、まだ過去を生きている未然未踏の私にとっては、それは列記とした未来であり、故に私は今より過去を生きる私にとっての予言者であり、同時にまたこのシナリオは変えることのできない"未来"なのである。
予め、先に未来を生きた私からありがたいお告げをもらった今より過去を生きる私にとって、なぜ先行するシナリオを変えて生きられないのか。
それはひとえに、これから1日前の自分が送るであろう今日すなわち2025-09-16(@日本)の決められた予定の中で、必ずしもすべてが悪いことではなく、ほんの一握りの憎い手ごたえがあったからである。
部屋で悶々としながら時間を無為に潰す過程とか、同じ姿勢で居続けることによる血流の悪化および精神面への悪影響など、明らかにネガティヴな面を避けたいと思っても、その悶々としている時に浮かんだしょーもないアイデアとか、ゲストがリビングにいるせいで出られなくなってしまった寝室でふと頭に浮かんだスケッチなどの私らしい行為もまた、複雑に前後のエピソードと絡み合っているからである。
つまり「密結合」というやつだ。密結合しているコードから不要な部分だけを削除するのは難しい。関係ないと思った箇所でさえ、抜くと思いもやらぬところに影響して画面はエラーになり真っ白ということもある。私が私たる所以と思えたあの夜のひと時を迎えるには、やはり私が私たるもう一つの所以であるしょうもない日中のうだつの上がらないファッキンタイムを味わい切らなければならないのである。
甘いパンを温めたらアツアツの砂糖漬けの部分が指先にくっつき、完璧に火傷した
来客。途中まで黙っていたのに、急に振られて余計なことを喋ってしまう。激しい後悔と羞恥。
昨日はなかったも同然レベルで廃人でした。
今日はネオ廃人目指して頑張ります。
やらない言い訳で、人生を終えそうだ
車の中の物を取りにホテルを出ると、最高の風が吹き抜けていた。ああ!
*「ながら」人生のススメ*
頭の中に複数のプロジェクトが同時進行しているようなADHDの人にとって、マルチタスクはまさに集中するための手段らしい。ほかにもブラウンノイズとかいって、あえてガサついた音とか気を取られるような音をBGMにすることでちょうど良い状態になるとか。しかし、これはあくまで注意が同時多発するADHDの人特有の処方箋だ。
私はADHDではない。マルチタスクなんか無理だし、生粋のシングルタスカーだ。ながら作業をすれば集中力が落ちると思っていた。しかし、ながら作業には、集中力をコントロールする以外にもう一つのメリットがあると思うので、ここではそれについて書く。
人生について悩むのは、大抵真剣な時だ。人生は誰にとってもイージーではなく、その時ごとに大きな壁が立ちはだかってくる。海の波に例えるとその力は凄まじく、まともに受けて立とうものなら圧倒的なパワーで粉砕されてしまう。だから、人生についてはあまり真剣でない方がいいと思っている。
そのための方法として、ながら作業ならぬ「ながら人生」がいいと思うのだ。本気で向き合わず、何か音楽やチャットをしながら、適当に人生を生きる。半分聴いてないようなくらいでちょうどいい。もし、あなたが苦手なこと、やらなければいけないこと、考えるだけで憂鬱になることで日常を埋め尽くされており、なんて人生は酷なんだ。なんで生きてるんだろう。などと絶望に暮れているとしたら、一度この「ながら」人生を試してほしい。そのための一歩は、まず「ながら」になりそうな趣味に近いことを探すことだ。
さて、私は今日もパソコンを開き、好きなことをしつつ、抱えているタスクやマストに対して適当に向き合おうと思う。大切なことは「やる・やらない」ではなく、なんとなくやることだ。人生なんて集中しないでいいんだ。まずは自分の楽しめる物を見つけよう。
昨日の夜に移動を開始。今日、関西入りする。やらなあかんことリストは、付箋に書いてPCのキーボードの横に貼ってある。が、横線が引かれずに数日経ち、付箋もボロボロになってきた。一個ずつ消していこう。
あと、荷造りはいつになったら慣れるのか。最近はスーツケースを開けて、詰め込まれた衣類を見るだけで体内でコルチゾールが爆上がりするのを感じられるようになった。コルちゃん...。
衣服というのは、エントロピー大魔王の忠実なる下僕であるというのが私の認識。
何をしていたか思い出せない
54キロの布の塊は、重い
生存報告
家にいるとリズムが全く作れないな
もうかなり切羽詰まってんのに
ついにメガネを買えた!やることリスト上位に君臨して早半年。旅行という締切を前に英断できたわけだが、2時間後にダサいという評価をいただき落ち込んでいる。
それでも進んだことはよかった。
Xデーまであと2日!
昨日買ったメガネは、クラブマスターとかブロータイプというらしい。サーモントとか。マルコムXとか笑 知的でクラシカルというと木星や土星っぽい。火星のイメージが良かったが、基本今は火星なので土星や木星を身につけることでバランスとるか。
心が乱れるのが一番良くない
一番大事なのは心に余裕を持つこと
慌てない焦らない普段通りでいること
巻き込まれるけど、巻き込まれない
目の前のことは大事じゃない
あと1日
21時間
シンプルにやばい
+13時間
終わった。考えたいのはそれだけ。振り返りたくない。あらゆることが嵐のようで、ただ分かるのは終わったということだけ。その事実を握りしめたい、今は。
終わった。これは終わる前には得られなかった実感。終わった、終わった、終わった。終わった。終わったんだ。終わったことをちゃんと終わりにしたい。
1つはっきり言えるのは、私は今ゾディカルリリースのMARSの真っ只中にいるということだ。
この意味は2つあり、1つは当面、しばらくあと1年ちょっとの間は【物理的・体力的にハード】な時期が続くということ。そしてもう一つはそれを乗り切るためには、【行動あるのみ】ということ。
MARSはギリシア神話の軍神で、火の神でもある。競争や衝突を暗示する火星のテーマだが、うまく使えば、それはエネルギッシュやモチベーション、情熱を意味する。私のMARSは今、フォーチュンのほうに来ているので、実際に行動してみることが道を開く鍵になる。
自分には本当に何ができるんだろうと考える
打ち上げという名の会食という名の...?なんだったのだろう
申し訳ないんですけど皆さんみたいに体力なくてバイタリティもなく、1日しか手伝ってないのにフラフラで価値観もブレブレです。正直ごめんなさい。
本気でこの1ヶ月を振りかえりたい。私はどうするべきだったのか。そして、私はどう生きるべきなのか。
アウトドア・パッキング
OUTDOOR PACKING
O U T D O O R P A C K I N G
@くもおう
火星的なアドバイス
「考える前に、まず動け」
「動いてから、考えろ」
「死生観から始めよ」と思う。
我々は魂の輪廻について信じたところで、"直接的に前世の記憶をインストール"することはできない。死ぬ前の"自分"が今の自分に引き継がれないということは、今の自分が来世の自分に引き継がれないことを示唆する。そしてその恐怖から人は死を恐れるのだと、私は思う。
生まれ直すことはできない。生まれ直してもそれは別の自分としてであって、例えば今この瞬間の私の意識に"過去に生きた私の意識"は登場しない。少なくともそう思っている。
だが、それは私の脳内における言語化できる範囲においての意識なのかもしれない。私が目の前のパンに無意識に手を伸ばす動作には、過去の私の意図も多分に乗っているのかもしれない。重要な点は、今を生きる私が過去に生きた私の意識にはアクセスできない(と思っている)ことかもしれない。向こうサイドが私の脳内思考を手に取るように分かっているかもしれないのに。
ごちゃごちゃ言ってないでただ笑えばいいだけだよ😊
はあ、なんか死にたくなってきた。うまくいかないと死にたくなる。死にたい=本当に死にたいわけではなく、絶望的な希望になるということ。何でそういう気分になるのか?やろうと思っていたことが一向に片付かないし、何をしたっていずれにせよ自分自身が変わるわけではない。これまでも、この先も変わらず自分という存在は自分のままである。
そういうテンポ感に自分自身が過度に期待をしているからこそ、現実とのずれにその絶望感とやらが芽生える。例えの話をする。一枚の紙にお皿の役割を期待して色々な食べ物を載せたところで液体は漏れるし油物は浸透して机を汚すし重いものは支えられず落ちる。ただそれだけのこと。自分が何であるかを知っているようで知らない。知っていたとしてもそれ以上の夢を見てしまう。我々は夢を見ることだけは一丁前にできるのだ。
物事は単純であり単純でない。いややっぱり単純だ。環境論は結構左右する。例えば親と関係が悪化した10代の子がいたとして、いい歳になったら親と衝突するのはある程度既定路線なのだから家を出るしかない。でも当面の自立できるだけの経済力がなければ我慢して家にいるしかない。とするとやっぱり親との衝突という問題は根本解決せずやり過ごすしかなくなる。
これは親が夫婦関係における夫(妻)や職場における上司(部下)でも一緒だ。環境こそ諸悪の決定因子であり、とはいえ環境はすぐに変えることが必ずしも簡単ではない。他者を変えるのはさらに難しい。結局のところ、最も変えやすいのは自分自身である。
引きこもりの子が引きこもりを脱する答えは、家を出ることである。家にいる限りは何をしても引きこもりに他ならない。それは状態とも言える。引きこもり自体が悪なのではなく、''働かずして親の庇護に甘え運動もせず自堕落でいること''がよろしくない。作家は引きこもってこそ仕事するだろう。何が問題かを切り分けることこそ問題解決のスタートでは、ある。偉そうにいえば
5回表二死一塁。14:3でビハインド。そんな感じの人生だなと。どこで3点入れたかといえば、初回に1点、2回に1点、4回か5回に相手のエラー絡みで1点。そんな感じかな。ただもうこちらの打線は極めて湿っており、先発ピッチャーの球は二巡目から狙い撃ちされており、コールド負けを自ら宣告したいような負けゲームに観客はとうの昔に諦めて今では身内しか観戦してない。それでも、いつまで続くかわからないゲームを生きないといけないので、ここで作戦会議を実行したい。戦力からして期待できないことはすでに述べたし、大谷翔平がベンチに控えていることももちろんない。それでもLife is keep going。ならば、できるだけの善戦はしたい。ゲームに負けても何かしらの手応えを掴みたい。「とりあえずホームランを狙うな。球をよく見ろ。いい球は振っていけ。三振しても点取れなくてもいいから、自分で納得のできる選択をしていこう。守りは点は取られてもいいから力まず投げろ。野手はできるだけランナーの進塁を止めよう。必要なら声を掛け合おう。人生は勝ち負けで決まらない。また我々は甲子園にもプロ野球にもメジャーリーグにも関係のない。純粋に今を生きよう。ボールに集中しよう。野球を楽しもう。それで十分だし最高だ。さあいってこい!」
シーズン2戦目
雨。気分は全く乗らない。それが普通
シーズン2戦目-1
何か魂が抜け落ちたような
それが自分の器だ
爆死
まさか大人になってから不登校的になるとは思ってなくて。今この瞬間の私の心境としては、まさしく"あの日、学校へ行かなかった時"の後ろめたさや罪悪感に似ていて...。
大人になればなるほど、心は頑なに、頭は頑固になってしまうものなのだ。そうなると、よほど大人の隠れ不登校の方がタチ悪いなと断言できる。不登校は学校に行く行かないのことを言うんじゃなく、"いなければならないところにいない"気持ち悪さ、居心地の悪さ全般を指すのだと思う。
それは、ただ"そこへ居なかった"だけのことなのに、やがて己の人格や人生に対する自信を失いこの世に絶望せざるを得なくなる。そうなると、わたしは反社会的なんだと思うほかなく、真っ当な日の目を浴びてはいけないなどとどんどん卑屈めいて鬱屈して根性が捻じ曲がってくのだ。
一体、その場にいなければ共有できないバイブレーションのような、生身の身体ありきの発想から抜け出さない限り、人類の進化はまだ先のようにも思う。体験しなければ分からない、ともに時間を過ごすから分かり合えるなどということに対して、私は強くそう思う。
後ろめたさ、の正体ってなんだろうな
風邪。
シーズンの折り返し地点。明日から11月。
前半はなんとか終えたが、後半も先が見えない。
今日1日を乗り切ろう
おつかれ、自分
大変だったな
途中、何回も死にたいとか、生きてる意味ないなとか思ったな。今ようやく解放されてやっとビールが飲めてる。もう最低な気分だけど、徐々にまた回復してく。そしてまた最低な気分を味わう明日に向かっていく。そんな日々だ。しかしこの時間また、苦味がビールやコーヒーにとって不可欠なように、味わいとなって俺という人生の特徴になっていくのだろう。自分というオリジナルな一本は、自分にしか味わえないのだ、それは特典だ、得した気分になれよ、一つのエンタメとしてな、他の誰でもない自分を味わうのは自分で、からは自分にだけ与えられた特権である、と。そんなの嬉しくないな、全然嬉しくない。死んだ方がよっぽどマシだと思うが、こんな惨めな想いや忸怩たる気分に晒され続けるために生きたいんじゃない。でも生きてしまってる。これはもう、いつからそうなったのかわからないけれど、人生は罰ゲームだ。カルマを背負っているという意味では罰だ。乗り越えられるかしらん。乗り越えられないかもしれない。でも本当の敗北とはこの負けゲームを最後まで完走せずに途中で降りることなのだろう。私の負債は私が寿命か事故で死ぬまでは私が返し続ける。負けゲームを負けゲームだと悟って、それでも生き続けると意識的に思うこと。決して楽園に着陸しない船だと分かっていながら、荒天の海原を舵取る自分。はっきり言ってお前は用無しだ。そう、神様に明確に告げられてもなお、生き続けなければならないしんどさを抱えて、あとは酒に溺れるくらししか残念ながらできない。
あー今の自分なかなかやばいな