私も皆さんに便乗して、アニエスのお話を書いてみました。製作者から2番目の持ち主、それから現Saint-Ouenに至るまでの経緯です。拙いところは目を瞑ってください…。
___アニエス、アニエスと名付けようか。
「君は少女たちの憧れであり、愛されるべき存在だ。人形は、必要としてくれる子供の手に抱かれてこそ幸せというものだよ」
ご主人様は完成したばかりの私の頬を撫でながら、柔らかい微笑みを向けてくださいました。
皺だらけの手に撫でられる温もりは、とても心地の良いものでした。
「私が作る最後の作品。……どうか多くの子供たちに抱かれ、家族のように、たくさんの愛情に満ち溢れるように」
ご主人様はそう仰ると、私の前髪を優しく掻き上げ、その額にそっと口付けを与えてくださいました。
「君は愛しい、私の最高傑作の娘だ」
私はなぜか、胸の底があたたかくなるような、穏やかな気持ちが陶器の中を漂う感覚に陥りました。
私は、この方の温かい手に造られてとても幸せでした。
___時は数十年後
「素晴らしい……」
いつの日か、お父様が亡くなられて暫くの後、私は見知らぬ場所で、固く閉ざされたガラスケースに収められていました。
「これがかの有名な人形師、ベルナール氏が最期に遺した作品か。19世紀とは思えぬ巧みな技術力だ……。戦時中であったにもかかわらず、磁器の劣化どころか、傷一つすら見られない」
「ご購入なさいますか?」
「もちろんだとも。金はいくらでも出す」
私の目の前に居るのは、恍惚とした表情でガラスケースに貼り付く壮年の男性と、その後ろで何やら書類に筆を走らせている女性。ここは何処でしょう?
私に向ける男性の笑顔は、お父様とは別物でした。目尻は歪んでいて、頬は朱を差したよう。あの瞳に映るものは、私の存在ただ一つでした。
「こんなに美しいドールは他に見た事がない! これ以上の傷を付けぬよう、厳重に保管して後世に残さなければ」
どうやら私は、この男性の所有物となったようです。
ですが何故でしょう、お父様のあの温もりが突然恋しくなってしまいました。
ご主人様は、私をガラスケースに収めたまま、ぴかぴかの自動車の荷台にそっと乗せて、どこかへと運んで行きました。
「アニエス、今日からここが君の家だよ」
新しいご主人様はそう私に微笑みかけると、大層美しい調度品の並んだ部屋に案内してくださいました。
私の新しい家には、私以外にも沢山のドールがいらっしゃいました。けれどそのすべてが、私と同じガラスケースに収められたまま部屋に飾られているのです。
ご主人様は、私達を酷く寵愛しているのだと感じました。
それからというものの、私がガラスケースから出ることは一度もありませんでした。
時折ご主人様が鍵を開けにいらっしゃって、ドレスに埃が付着していないか、磁器の劣化がないかを隅々までチェックしにいらっしゃいます。そして毎度、新しいドレスを新調してくださいました。私にとっては、狭い空間の中で行われるそれが少しの楽しみでもありました。
そして、全ての工程を終えると、ご主人様は満悦げな笑みを残してまた扉を閉めるのです。
私には、どうしてこの狭い空間に閉ざされているのか全くの理解が出来ませんでした。
しかし、ご主人様は私に会いにいらっしゃる度に、「この世で最も美しい」「君を愛している」「僕には無くてはならない存在だ」と言葉を掛けてくださるので、それが少し満更でもなかったりしました。
私、実は私自身が思っている以上に美しいのね?
とはいえ、毎日狭いガラスケースの中で過ごすのは退屈です。もっと他の新しいドレスも着てみたいし、他のドールにも話しかけてみたいのに……。
___ある日のこと、日差しの大層あたたかな昼下がり。
ご主人様が外へ出かけている間、私はあるものに目を向けていました。部屋の窓です。ご主人様の家は大変広い豪邸なので、窓からは広大な庭を見ることができました。
いつもはそこに小鳥が飛んできたりするのですが、今日は少し違っていたようで、何人かの少女がご主人様の庭にお邪魔なさっていました。
私は久々に目にする『子供』の存在に興味を引かれ、ついその様子をじっと眺めていました。少女達は、私達と同じドールを手に抱えていたのです。
「今日はわたくしのお茶会にいらっしゃってどうもありがとう! さあ、どうぞお掛けになって?」
「ご招待に預かり光栄ですわ。今日も素敵な茶葉をお使いになっているのね? 」
「ええ、今日はダージリンなの。とっても美味しいでしょう?」
少女達は、どうやら人形を使って演劇をするようでした。私にはそれが初めて拝見するもので、先程よりも興味津々にその様子を見入ってしまいました。
すると遥か昔、お父様が私に仰ってくださった言葉を思い出したのです。
『どうか多くの子供たちに抱かれ、家族のような、たくさんの愛情に満ち溢れるように』
それを思い出した時、私の磁器の頬が少しばかり震えたような気がしました。私の身体にヒトと同じ心臓はありませんが、この感覚は、胸がドクドクと脈打つようなものと似ているのかもしれません。
____わたくしも、みんなと、遊びたい。
そう願った瞬間、私の視界は闇に包まれ、その後の記憶は一切ございませんでした。
・
・
・
目が覚めると、そこは少しばかり埃臭いダンボールの中。開けてくださったのは、以前のご主人様とは違う、初老の紳士でした。
きっと私、また他の場所に移されたのでしょう。そう理解した途端、何故だか不安の気持ちが芽生えました。
しかし、それも束の間。新しいご主人様は、私に付着した埃を払い、髪を整え、手入れを丁寧に終えると、そのまま同じドールが並ぶ棚に移してくださいました。
今度はガラスケースの中ではなく、生身のまま。
___わたくし、自由でいいの?
不思議と、底知れぬ喜びが身体の内側から湧き上がりました。
ご主人様が部屋を後にしたあと、私は早速、隣に腰掛けるドールに声を掛けたのです。
「わたくし、アニエス・ベルナール。この世で最も美しいビスクドールよ! あなたのお名前は?」