またこの時期がやってきた。一年の中のカオスが秋から年末にかけて集中するというお決まりのサイクル。正直言って、毎年憂鬱でなんとか過ぎてほしいと祈りながらカレンダーをめくっている。今年も9月に突入してしまったので、残念ながら秋当事者として無事に正月を迎えられるよう日々を綴りせめてもの慰めとしたい。
20250908 皆既月食後の湿気た夜
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またこの時期がやってきた。一年の中のカオスが秋から年末にかけて集中するというお決まりのサイクル。正直言って、毎年憂鬱でなんとか過ぎてほしいと祈りながらカレンダーをめくっている。今年も9月に突入してしまったので、残念ながら秋当事者として無事に正月を迎えられるよう日々を綴りせめてもの慰めとしたい。
20250908 皆既月食後の湿気た夜
湿気ている。明日を想うのが嫌だ。
起きて洗濯をして、出張の荷物整理をして、フルーツを切って、コンポストを4週間ぶりにかき回して、コーヒー飲料を流し込み、植物に水をやって、掃除機をかけて、時間に気づいてzoomをひらいて、チャットに書き込みをして、今ここ...薄れゆく記憶を辿る、気分がすぐれない、イライラと頭打ち感がある、
@くもおう
それなりに行動できてるじゃん。何が問題なの?
@metaくもおう
気分が落ち着かない。やる気が出ない。沈んでる。
@くもおう
すぐに気分を変えることはできない。しばらく味わうことに専念してみて。感じるだけでいいから。何かをすぐにやろうとするほど焦るから、リラックスしてみて。
@metaくもおう
はあい
あれ...なんかおかしいな。何か食べよう。
毎年、特に2020年以降の秋シーズンはこれまでしんどい季節を過ごしてきた。物理的な忙しさ以上に精神的な嵐が何本も通り過ぎ、傷跡を色濃く遺していった。特に2020〜2022シーズンは不安定だった。頼まれてもあの頃に戻ってやり直したくはない。
そして今日も嫌な感じがまた頭をもたげてこっちを見ている気がする。だがしかし、こう考える。今年は特別な年。秋は隠れていた黒いモノが表面化していくと。それは悪あがきにも似ていて、去り際が一番暴れるものだと。だから、今の"この感じ"も、すごく嫌だなぁと思いながらもちょっと引いてみると「あぁ、これが表出する黒いモノね」という感じでやろうかと。
例に出せば、トランプさんがいつまでもこの世界を統治するとは考えにくい。でも今トランプさんが色々やってることは、世界の膿を出し切るためにやってるのだとも取れる。焦り、不安、切断、怒り、失意、絶望、様々な感情が浮かび上がるように、この秋のイベントはすべてプログラムされていて、まさにそれを味わい尽くすことが必要なのである。
表面を通りすぎる嵐に巻き込まれるのか、嵐が来るのが分かってて自分は辛抱強くグラウンディングするのか。私は人が根本から変わることはそうそうないと思っていて、皆それぞれに課題を持っていて、カルマを受け継いでいる。目の前のことに必死になるのが精一杯で、レベル差も方向性もまちまちで、だから世界はいつまで立ってもまとまらない。そういうものなのだと思う。
繰り返し繰り返しやってくるカルマに振り回されながら、この人生の時間を費やし、自分のミッションに向き合っていくしかできない。私にやってくる嵐は、執拗に同じことを何度も何度も瘡蓋を剥がしては痛いところを突いてくる。周りから見れば、同じ問題をいつまで立っても克服できてないように見えるだろう。
でも、焦るな。解決することよりも、味わい尽くせ。焦ったり急いだりすると、その嵐にいいように振り回されてしまうと思う。2020年から5年目にして、例年以上に憂鬱な気分を更新しているが、それでいい。特に今年はスペシャル。だからこそ、しっかり落ち着いてグラウンディングしなさい。
早朝の往復。無心。
スケールの大きい人と会っていると、自分のみみっちさに嫌気がさしてくる。しかし、それしかできない。それが大事。結局、自分にできることをやるしかない。自分のサイズ感で。事の大小だけでは必ずしも計ることができない。大は小を兼ねるのは事実だが。
やる気出ない。くもり
今朝も早起きできたが、その後の段取りおよび前日の段取り不足で、不審なサインが出ている
なによりも安全ケア、整え優先でいきたい
気持ち的には、神主さんのつもりで神社レベルの整えをしていく
自分がポンコツなのはいいとして、時として非人道的、人としてどうなのかっていうクズだと実感できると、これはもう
何もしてない
15:00以降...
自分はもう環境がすべて。ちょっとでも精神衛生上・物理的な不安があるとなかなか集中できない。これは良くないところ。鍛えるべきところ。
そのくせ移動が多いので困る。ルーチンが大事。
明日から2日間イベント。今シーズンの初戦。明後日の夜には息してないと思うけど、ひとまず生き抜くことだけを考えます。自分用。
っしゃーっ!雨男でも晴れ男でもない
イベントに必要なのは、ちょうどよい雲男だ!
1日目おわり。無。
もう何も思わなくなった。
このふりかえりの時間が一番苦手なんだよなぁ
昨夜は心が荒れていた。穏やかに1日を終えたい。
今日は微妙。下の上。いい感じ。無事終わった。無事終わりました。無事に。なんとか。無傷って言ってもいいくらいで。いいじゃん。やるじゃん自分。え、そんなことないよ。普通だよ。いやいや、そのコメント出るなら上の上じゃん。そーだね、なんででしょう。暑かったからじゃない?寝不足だったけどね。昼くらいから気になんなくなったね。やっぱ、午後の会場作り始まったからじゃない?そーね、外だし暑かったじゃない?暑かったって2回言ったけど。無我夢中だったね。緊張してたし。いやわかんないな。いつもなら引くのにな。場の力かもね。そうそう、外が好きなんだよやっぱ。なんだその結論。
まあ油断できないよね。何にもしてないからね、言っても自分。なんにも。マジで何にもしてない。何にもしてないからいいんだよ。なんだよそれ。何にもしてない。うまく逃げてる。逃げ方知ってるね。車を動かしたり、買い出ししたり、うまいこと避けてる。悩んだらダメだよ悩んだら苦しくなる。悩みたい?いいや。悩みたくない。考えたらさ、苦しいんだよ。現実を一枚一枚めくって見るように。現実を知ったら「ひぇっ」ってなる。変な汗が出る。バカでいたい。マジックだよマジック。最初のインストールがうまく行ったから、全部うまく行ったんだよ。心の中に温かいものがじんわり灯る。それがあれば、割とよくなるんだよね世界が。見ないようにしてるけどさ、カッコつけて嫌がってるけどさ、結局そういう温かいものがシンプルに中心なんじゃない?いやだなぁ。だって、頭で色んな考えが巡ってもさ、身体的になんか言葉にできない安心感、同じ生物としての温度、気を感じたら、なんか色々言ってるけどみんな違うとか、みんな一緒なんじゃないかって。
やべ
ひとまず、これで数日は安泰と思い込む。
19日に移動。16,17,18...明日、明後日、しあさって...。
明々後日に移動か。その前にしておかないといけないのは...。
生命の危機でいうと、メガネを買いたい。ほかはどうにでもなる。
急遽、知人を泊める。リズム崩れる
「拝啓、○日前の自分」というシリーズを作ってみよう。
たとえば、
「拝啓、1日前の自分。
明日、君は変なタイミングで目覚め、9時からのオンライン会議に遅刻し、うだうだとした後、一件の簡単な登録作業を終わらせ、午後は役所に法人書類を取りに行き、不調を存分に味わいながら、夜に遠方からの友人と食事をした流れで家に泊め、リズムを崩して悶々とし、ベッドで着想のスケッチを描きます。そして零時前になって漸く送付状をこしらえポストに出しに行くだろう。
終始やる気のなさに悩み、タスクの意義について気を重くし、憂鬱な1日になるからね。」とか
未来のことは分からなくても、過去のことは明白だ。しかしながら、まだ過去を生きている未然未踏の私にとっては、それは列記とした未来であり、故に私は今より過去を生きる私にとっての予言者であり、同時にまたこのシナリオは変えることのできない"未来"なのである。
予め、先に未来を生きた私からありがたいお告げをもらった今より過去を生きる私にとって、なぜ先行するシナリオを変えて生きられないのか。
それはひとえに、これから1日前の自分が送るであろう今日すなわち2025-09-16(@日本)の決められた予定の中で、必ずしもすべてが悪いことではなく、ほんの一握りの憎い手ごたえがあったからである。
部屋で悶々としながら時間を無為に潰す過程とか、同じ姿勢で居続けることによる血流の悪化および精神面への悪影響など、明らかにネガティヴな面を避けたいと思っても、その悶々としている時に浮かんだしょーもないアイデアとか、ゲストがリビングにいるせいで出られなくなってしまった寝室でふと頭に浮かんだスケッチなどの私らしい行為もまた、複雑に前後のエピソードと絡み合っているからである。
つまり「密結合」というやつだ。密結合しているコードから不要な部分だけを削除するのは難しい。関係ないと思った箇所でさえ、抜くと思いもやらぬところに影響して画面はエラーになり真っ白ということもある。私が私たる所以と思えたあの夜のひと時を迎えるには、やはり私が私たるもう一つの所以であるしょうもない日中のうだつの上がらないファッキンタイムを味わい切らなければならないのである。
甘いパンを温めたらアツアツの砂糖漬けの部分が指先にくっつき、完璧に火傷した
来客。途中まで黙っていたのに、急に振られて余計なことを喋ってしまう。激しい後悔と羞恥。
昨日はなかったも同然レベルで廃人でした。
今日はネオ廃人目指して頑張ります。
やらない言い訳で、人生を終えそうだ
車の中の物を取りにホテルを出ると、最高の風が吹き抜けていた。ああ!
*「ながら」人生のススメ*
頭の中に複数のプロジェクトが同時進行しているようなADHDの人にとって、マルチタスクはまさに集中するための手段らしい。ほかにもブラウンノイズとかいって、あえてガサついた音とか気を取られるような音をBGMにすることでちょうど良い状態になるとか。しかし、これはあくまで注意が同時多発するADHDの人特有の処方箋だ。
私はADHDではない。マルチタスクなんか無理だし、生粋のシングルタスカーだ。ながら作業をすれば集中力が落ちると思っていた。しかし、ながら作業には、集中力をコントロールする以外にもう一つのメリットがあると思うので、ここではそれについて書く。
人生について悩むのは、大抵真剣な時だ。人生は誰にとってもイージーではなく、その時ごとに大きな壁が立ちはだかってくる。海の波に例えるとその力は凄まじく、まともに受けて立とうものなら圧倒的なパワーで粉砕されてしまう。だから、人生についてはあまり真剣でない方がいいと思っている。
そのための方法として、ながら作業ならぬ「ながら人生」がいいと思うのだ。本気で向き合わず、何か音楽やチャットをしながら、適当に人生を生きる。半分聴いてないようなくらいでちょうどいい。もし、あなたが苦手なこと、やらなければいけないこと、考えるだけで憂鬱になることで日常を埋め尽くされており、なんて人生は酷なんだ。なんで生きてるんだろう。などと絶望に暮れているとしたら、一度この「ながら」人生を試してほしい。そのための一歩は、まず「ながら」になりそうな趣味に近いことを探すことだ。
さて、私は今日もパソコンを開き、好きなことをしつつ、抱えているタスクやマストに対して適当に向き合おうと思う。大切なことは「やる・やらない」ではなく、なんとなくやることだ。人生なんて集中しないでいいんだ。まずは自分の楽しめる物を見つけよう。
昨日の夜に移動を開始。今日、関西入りする。やらなあかんことリストは、付箋に書いてPCのキーボードの横に貼ってある。が、横線が引かれずに数日経ち、付箋もボロボロになってきた。一個ずつ消していこう。
あと、荷造りはいつになったら慣れるのか。最近はスーツケースを開けて、詰め込まれた衣類を見るだけで体内でコルチゾールが爆上がりするのを感じられるようになった。コルちゃん...。
衣服というのは、エントロピー大魔王の忠実なる下僕であるというのが私の認識。
何をしていたか思い出せない
54キロの布の塊は、重い
生存報告
家にいるとリズムが全く作れないな
もうかなり切羽詰まってんのに
ついにメガネを買えた!やることリスト上位に君臨して早半年。旅行という締切を前に英断できたわけだが、2時間後にダサいという評価をいただき落ち込んでいる。
それでも進んだことはよかった。
Xデーまであと2日!
昨日買ったメガネは、クラブマスターとかブロータイプというらしい。サーモントとか。マルコムXとか笑 知的でクラシカルというと木星や土星っぽい。火星のイメージが良かったが、基本今は火星なので土星や木星を身につけることでバランスとるか。
心が乱れるのが一番良くない
一番大事なのは心に余裕を持つこと
慌てない焦らない普段通りでいること
巻き込まれるけど、巻き込まれない
目の前のことは大事じゃない
あと1日
21時間
シンプルにやばい
+13時間
終わった。考えたいのはそれだけ。振り返りたくない。あらゆることが嵐のようで、ただ分かるのは終わったということだけ。その事実を握りしめたい、今は。
終わった。これは終わる前には得られなかった実感。終わった、終わった、終わった。終わった。終わったんだ。終わったことをちゃんと終わりにしたい。
1つはっきり言えるのは、私は今ゾディカルリリースのMARSの真っ只中にいるということだ。
この意味は2つあり、1つは当面、しばらくあと1年ちょっとの間は【物理的・体力的にハード】な時期が続くということ。そしてもう一つはそれを乗り切るためには、【行動あるのみ】ということ。
MARSはギリシア神話の軍神で、火の神でもある。競争や衝突を暗示する火星のテーマだが、うまく使えば、それはエネルギッシュやモチベーション、情熱を意味する。私のMARSは今、フォーチュンのほうに来ているので、実際に行動してみることが道を開く鍵になる。
自分には本当に何ができるんだろうと考える
打ち上げという名の会食という名の...?なんだったのだろう
申し訳ないんですけど皆さんみたいに体力なくてバイタリティもなく、1日しか手伝ってないのにフラフラで価値観もブレブレです。正直ごめんなさい。
本気でこの1ヶ月を振りかえりたい。私はどうするべきだったのか。そして、私はどう生きるべきなのか。
アウトドア・パッキング
OUTDOOR PACKING
O U T D O O R P A C K I N G
@くもおう
火星的なアドバイス
「考える前に、まず動け」
「動いてから、考えろ」
「死生観から始めよ」と思う。
我々は魂の輪廻について信じたところで、"直接的に前世の記憶をインストール"することはできない。死ぬ前の"自分"が今の自分に引き継がれないということは、今の自分が来世の自分に引き継がれないことを示唆する。そしてその恐怖から人は死を恐れるのだと、私は思う。
生まれ直すことはできない。生まれ直してもそれは別の自分としてであって、例えば今この瞬間の私の意識に"過去に生きた私の意識"は登場しない。少なくともそう思っている。
だが、それは私の脳内における言語化できる範囲においての意識なのかもしれない。私が目の前のパンに無意識に手を伸ばす動作には、過去の私の意図も多分に乗っているのかもしれない。重要な点は、今を生きる私が過去に生きた私の意識にはアクセスできない(と思っている)ことかもしれない。向こうサイドが私の脳内思考を手に取るように分かっているかもしれないのに。
ごちゃごちゃ言ってないでただ笑えばいいだけだよ😊
はあ、なんか死にたくなってきた。うまくいかないと死にたくなる。死にたい=本当に死にたいわけではなく、絶望的な希望になるということ。何でそういう気分になるのか?やろうと思っていたことが一向に片付かないし、何をしたっていずれにせよ自分自身が変わるわけではない。これまでも、この先も変わらず自分という存在は自分のままである。
そういうテンポ感に自分自身が過度に期待をしているからこそ、現実とのずれにその絶望感とやらが芽生える。例えの話をする。一枚の紙にお皿の役割を期待して色々な食べ物を載せたところで液体は漏れるし油物は浸透して机を汚すし重いものは支えられず落ちる。ただそれだけのこと。自分が何であるかを知っているようで知らない。知っていたとしてもそれ以上の夢を見てしまう。我々は夢を見ることだけは一丁前にできるのだ。
物事は単純であり単純でない。いややっぱり単純だ。環境論は結構左右する。例えば親と関係が悪化した10代の子がいたとして、いい歳になったら親と衝突するのはある程度既定路線なのだから家を出るしかない。でも当面の自立できるだけの経済力がなければ我慢して家にいるしかない。とするとやっぱり親との衝突という問題は根本解決せずやり過ごすしかなくなる。
これは親が夫婦関係における夫(妻)や職場における上司(部下)でも一緒だ。環境こそ諸悪の決定因子であり、とはいえ環境はすぐに変えることが必ずしも簡単ではない。他者を変えるのはさらに難しい。結局のところ、最も変えやすいのは自分自身である。
引きこもりの子が引きこもりを脱する答えは、家を出ることである。家にいる限りは何をしても引きこもりに他ならない。それは状態とも言える。引きこもり自体が悪なのではなく、''働かずして親の庇護に甘え運動もせず自堕落でいること''がよろしくない。作家は引きこもってこそ仕事するだろう。何が問題かを切り分けることこそ問題解決のスタートでは、ある。偉そうにいえば
5回表二死一塁。14:3でビハインド。そんな感じの人生だなと。どこで3点入れたかといえば、初回に1点、2回に1点、4回か5回に相手のエラー絡みで1点。そんな感じかな。ただもうこちらの打線は極めて湿っており、先発ピッチャーの球は二巡目から狙い撃ちされており、コールド負けを自ら宣告したいような負けゲームに観客はとうの昔に諦めて今では身内しか観戦してない。それでも、いつまで続くかわからないゲームを生きないといけないので、ここで作戦会議を実行したい。戦力からして期待できないことはすでに述べたし、大谷翔平がベンチに控えていることももちろんない。それでもLife is keep going。ならば、できるだけの善戦はしたい。ゲームに負けても何かしらの手応えを掴みたい。「とりあえずホームランを狙うな。球をよく見ろ。いい球は振っていけ。三振しても点取れなくてもいいから、自分で納得のできる選択をしていこう。守りは点は取られてもいいから力まず投げろ。野手はできるだけランナーの進塁を止めよう。必要なら声を掛け合おう。人生は勝ち負けで決まらない。また我々は甲子園にもプロ野球にもメジャーリーグにも関係のない。純粋に今を生きよう。ボールに集中しよう。野球を楽しもう。それで十分だし最高だ。さあいってこい!」
シーズン2戦目
雨。気分は全く乗らない。それが普通
シーズン2戦目-1
何か魂が抜け落ちたような
それが自分の器だ
爆死
まさか大人になってから不登校的になるとは思ってなくて。今この瞬間の私の心境としては、まさしく"あの日、学校へ行かなかった時"の後ろめたさや罪悪感に似ていて...。
大人になればなるほど、心は頑なに、頭は頑固になってしまうものなのだ。そうなると、よほど大人の隠れ不登校の方がタチ悪いなと断言できる。不登校は学校に行く行かないのことを言うんじゃなく、"いなければならないところにいない"気持ち悪さ、居心地の悪さ全般を指すのだと思う。
それは、ただ"そこへ居なかった"だけのことなのに、やがて己の人格や人生に対する自信を失いこの世に絶望せざるを得なくなる。そうなると、わたしは反社会的なんだと思うほかなく、真っ当な日の目を浴びてはいけないなどとどんどん卑屈めいて鬱屈して根性が捻じ曲がってくのだ。
一体、その場にいなければ共有できないバイブレーションのような、生身の身体ありきの発想から抜け出さない限り、人類の進化はまだ先のようにも思う。体験しなければ分からない、ともに時間を過ごすから分かり合えるなどということに対して、私は強くそう思う。
後ろめたさ、の正体ってなんだろうな
風邪。
シーズンの折り返し地点。明日から11月。
前半はなんとか終えたが、後半も先が見えない。
今日1日を乗り切ろう
おつかれ、自分
大変だったな
途中、何回も死にたいとか、生きてる意味ないなとか思ったな。今ようやく解放されてやっとビールが飲めてる。もう最低な気分だけど、徐々にまた回復してく。そしてまた最低な気分を味わう明日に向かっていく。そんな日々だ。しかしこの時間また、苦味がビールやコーヒーにとって不可欠なように、味わいとなって俺という人生の特徴になっていくのだろう。自分というオリジナルな一本は、自分にしか味わえないのだ、それは特典だ、得した気分になれよ、一つのエンタメとしてな、他の誰でもない自分を味わうのは自分で、からは自分にだけ与えられた特権である、と。そんなの嬉しくないな、全然嬉しくない。死んだ方がよっぽどマシだと思うが、こんな惨めな想いや忸怩たる気分に晒され続けるために生きたいんじゃない。でも生きてしまってる。これはもう、いつからそうなったのかわからないけれど、人生は罰ゲームだ。カルマを背負っているという意味では罰だ。乗り越えられるかしらん。乗り越えられないかもしれない。でも本当の敗北とはこの負けゲームを最後まで完走せずに途中で降りることなのだろう。私の負債は私が寿命か事故で死ぬまでは私が返し続ける。負けゲームを負けゲームだと悟って、それでも生き続けると意識的に思うこと。決して楽園に着陸しない船だと分かっていながら、荒天の海原を舵取る自分。はっきり言ってお前は用無しだ。そう、神様に明確に告げられてもなお、生き続けなければならないしんどさを抱えて、あとは酒に溺れるくらししか残念ながらできない。
あー今の自分なかなかやばいな
最近絶不調の只中にあり、自己分析を行ってみた。
移動が多くホームポジションがないことの心理的影響が大きいかもしれない。
それの対策として、遠隔でルーティンを行うことでホーム感覚を養う
起きたくない
今日初めて、自分は孤独なんだと、孤独という言葉を自覚した。今までその言葉もその感覚もなかった、しかし振り返ると、今の自分の心に空いている埋まらない穴は孤独なのではないか。
表面をいくら取り繕ったとて、私が罹った孤独の病は知らぬ間に長い時間をかけて深く根を張り、ことあるごとに私の生死の是非を問いかけてくる。
11月の忙しなさの中、少しだけ復調している。いずれかの原因については振り返りたい。
やはりやることがある、つまり自分にできることがあるというのは意味が大きいと思う。この間までメール一本、メッセージ一つ返すのさえ億劫に感じ殆ど何もできないでいた。部分うつ状態といってもよかった。今は少し気力が回復して上向きである。少なくとも、何もする気になれない、底のような気持ちは今はしていない。こんなにも気持ちに変化が起こるのかと思うと、まだまだ自分の波をコントロールできないのだと気づく。
ほのかな喜びも束の間、ふたたび地獄へ突き落とされる。
すべては意味がない
私のすることに
意味なんてそもそもなかった。
まぁ意味にはその意味の裁判があって
自分の中に弁護士と検察がいて、弱った脳は二項対立的に答えを決めつけたがる。検察は自分に「意味なし」の訴求を饒舌にするのに対し、弁護側は劣勢にいる。そうするとレジリエンスが効かず、自分のやってることなんて意味がない。そんなのお遊びだ。なんの役にも立たない。なんの意味もない。お前なんて意味がない。と言われたい放題になり、自暴自棄に追い込まれる。
でも、意味は人間が作ったもので、ある視点においての意味でしかない。本来、意味は無数にあり複層的で、我々が完治できない宇宙的な意味や理すらある。そういうものを暴力的に除外して不自然に0-100、白か黒かの二元論にするのが検察の仕業で、そうなると、自分の大事にしてる価値観や考え方自身が否定された気になり、どうでも良くなる。一気にやる気を失くすし投げやりになる。
でもそうじゃない。仕事はDORNしないと確かに意味がないけれど、世界は仕事がすべてじゃない。サッカーでもゴールを決めないと意味がない。でも途中の繋ぎにも芸術性はある。単純化された意味あり意味なしの裁判、役にたつか立たないかといった一つの価値基準だけで決めつけてはいけない。そこに弁護側が待った!をかけないといけない。意味ほど意味のないものはない。そして、無駄と思われるもの、役に立たないものこそがこれからの人間にとって必要なもの。
AIは意味を作るのが上手い。どんなことを言っても何かしらの肯定的な意味づけをしようとする。古代の人々は生きることに直結したことをしていたので、することすべてに意味があった。歌や踊り、土器の装飾にも意味があった。子供の遊びにも意味があった。しかし、そこから進化した我々は貨幣経済やテクノロジーの発展により原始的な生活を卒業した。ベーシックインカムになるまではまだ時間がかかる過渡期にある。でも、生きるために生きることはもう必要ない。先に挙げた役にたつとか、意味があることというのは、生きるために生きている次元。意味のあることをやる時代から、意味のないことをやる時代へ移行しようとしている。
意味とは所詮、人間の頭の中で考えられるレベルのことでしかなく、その範囲で考えられることなんてたかが知れてる。宇宙の存在や太陽系、地球の意味はなにか、なんて意味という言葉自体に限界を感じる。意味を超えたところに本当は何かある。その意味で我々は無意味なこと、無駄なことをやっていかないといけない。それは時に、抵抗感のあることだったりする。こんなことをしていてなんの意味があるのだと思うかも知れない。もっと役立つこと、効果的なことをしないといけないと。でもそれは旧時代の考え方。意味に負けてはいけない。それは結局、ある視点での決めつけでしかない。乏しい想像力の意味づけなのだ。
数学のテスト前に英語を勉強しても意味がない。でも、人生は数学のテストの結果がすべてではない。この時覚えた英語が役立つ時も来る。どれだけ柔軟に考えられるか。枠は自分で作っているのだ。すべてに意味はある。意味なし判決に従って自分を簡単に有罪にしてはいけない。
余裕がなくなると、分かりやすくしたがる傾向に脳はある。勧善懲悪の方が楽なのだ。でも世界はもっと複雑にできている。誰もが善人で悪人である。誰もが関係者になりうる。そういう複雑さを複雑のままに捉えるためにレジリエンスを持たないといけない。決めつけないようにしたい。はいはい私が悪うございました、でも、全部アイツが悪いんだ、でもない。あの人は価値が高くて、この人は人間的にショボいとかでもない。この考えに本当に立つのは、実はかなり腹が座らないとできない。良し悪し混ぜて受け止めるだけの胆力がいる。それは愛なのかもしれない。
結局、自分のやってることはれっきとした意味あることであり、自分だけはどうあってもその意味アリを信じるしかない。
なかなかの一日。そういえば日記とは人に読ませるものではないな。なかなかの1日、というより激動の2日。元は2日前の夜、備品整理+荷づくり+宿泊対応でプレッシャーがかかり爆発した。私のすることには何も意味もないと無力感は怒りに変わった。収まらない怒りをスコッチで鎮めて寝た。
翌日送りに出してからその足で関西へ向かった。首都圏を抜けるのに土曜の午前は適していない。見事に渋滞にはまり、名古屋に着いたのは日が暮れてから。二日酔いのせいで睡魔に襲われながら休憩を小刻みに挟みながら深夜1時過ぎに目的地の紀州へ着いた。まあ、ここまではよかった。
昨日の朝は時間に追われていた。いつものことなのだ。気の進まない予定は時間を確かめることも最低限の段取りをすることも疎かにする私の悪習のせいで、山の麓に着いたのは開始時刻の5分前。さらに事務所のトイレで大きい方の用を足したせいでタイムオーバー。そこで事件は起きた。
成り行きで私は車を降りた。そのまま熊の出るかもしれない山中の川岸で流れを見ながら時間を潰した。いい時間だった。置いて行かれたのではなか自分から運転席を降りた結末の独りで過ごす静かな時間。再び本隊に合流してから街へ出て昼食をとり、それから北上して宿へ向かった。その日は温泉には自分だけ入らず民家の風呂で体を温めた。温泉に入っても寝るまでの間にすっかり湯冷めしてしまうことを考えれば、床につく直前に温まって寝るのは悪くなかった。こたつをコの字型に囲む3人をほって私は着々と寝る準備をした。まるでそれが無言の意思表明であるかのように。
深夜1時過ぎに瞼を閉じて5時間半後に目が覚めた。今朝は私も温泉に同伴した。早めに上がり町を縦走する川べりに降りてしばし眺めた。リフレッシュした私は宿へ戻り朝食を食べオンライン会議をながら聞きしながら宿を出る片付けを進めた。2本目のzoomは私も卓の前でじっと聞いてのちの出発となった。私が1台の車に一人、もう一台に残りの3名が乗って打ち合わせをしながら最終目的地を目指す行程だった。
音自体は可愛いらしくても危険な香りに満ちた警告音が鳴った。見たことのないマークとengine fault: Repair neededという走行中には見たくない文字がハンドル奥に赤く点灯した。同時に申し訳なさ気にエンジンは勢いをふっと弱め、アクセルは無力と化した。坂道の途中で私はエンストした。路肩に寄せようかと思うと、不幸中の幸いといっていいだろう、車両緊急待避所が目の前にやってきた。こんな山道で独りで故障に見舞われるのは全く勘弁してほしかったが、景観の良い安全なところで車を停められたのは良かった。
うつが顔を上げてこっちを見ている
仲間にしますか?
- はい
- いいえ
移動が続いているから?予定の見通しが立たないから?書いてるものが行き詰まってるから?いつもと環境が違うから?やりたくないことをやっているから?お金がないから?人とうまく行かないから?
自分の中の検察はことのあらましを手荒に聞いてくる。妥当と思える理由探しをするのが彼らの仕事だ。しかし、そうだろうか?
秋の曇り空や落ち葉を散らす一陣の風に理由などあるか。移り気な空模様、気まぐれな紅葉自体が秋を表している。私はまさに秋のような人間かもしれない。いや、皆そうだろう。晴れしかない国や変わり映えのしない天気なら、人間はこんなに複雑で理解に困る扱いづらさを抱えない。
曇りになるのに理由がないのと同様、また嘘のように晴れる日が来るだろう。期待せずに期待する、それが秋の過ごし方かもしれない。

空のキャンバスは何物も受け入れる自由さがあり、それは黒雲や嵐を含む。
やってくるものを選べないならば、いちいちそれに反応しても仕方ない。にも関わらず、心は不安を掻き立て怒りにかき乱される。天と心は一つだとしたら,それもまた自然なこと。
嵐の例えは比喩として、心を空模様に例えるのはなぜか。秋空をかようなまでに移り気な心になぞらえるのはどうして。
得体の知れない空模様、あるいは心のそれに振り回されるのも一興。だが、大雨ごとに濁流が大地に溝を作るようでは私のこころは持たない。回復かかる時間の流れと,現実社会のスピードが一致してないのだ。であれば、自然と一体にありつつも共生関係を築きたい。それは、自然のなすがまま、あるがまま、流されるままに、とはちょっと違う。
流される川の水量は同じ。流れは、ただ地形に沿って,なだらかな面や険しい溝に合わせて面相を変える。同じ人であっても、生まれてから死ぬまでひと時たりとも同じ人ではないように。
その流れ自身であるか、川べりで眺める人であるか。世界とわたし。
ある気の進まない会に出て、通常は酒の力に頼ることで悪酔いしてイベント自体を呪うことになるのだが、事前に予測してヤクルトを持ち込みそれを酒代わりにした。
すると、思いのほかこれがうまくいった。要は、手元に安心して身を任せられるものがありさえすれば良いのだ。課題は飲み終わりのヤクルトの処理で、適当にやると持ち物が飲み残しの液でドロドロになるぐらいで、それは飲み残し用の耐水性袋を用意すればいい。
あと、別に元気でないのに元気そうだねと言われた時、なんと返したらいいのかは今のところ自分は「あぁん、あ〜っ、あっ...う、ぅん!」のように喘ぐ形で返している。
久しぶりにきついのきた
たばこのおかげで安定していたが、一ヶ月もたなかったな
いや、1ヶ月弱もっただけでマシか
山場を超えたものな
喜んでいいはず
そのためにタバコで凌いだんだから上出来
あれほど恐れていた秋を乗り切ったんだものな
年末のイベントもキャンセルされた
9月のイベント、10月頭の巨大イベント
10月の移動と旅、11月のイベント
そして12月頭のイベント
本来は、ホッとしてもいいはず
でも、いつもそうなんだけど
山を超えたときには、次の山が見えてる
終わったはずなのに、終われない
だから、おかしくなる
あと一つ言うけどさ
ここに書くのはフェアじゃないけど
自分のために吐き出しておきたい
お金がない
わかる
ボランティアの仕事を多く引き受ける
...
人的ネットワークは作れる
が、今すぐにお金には結びつかない
労力の割に、お金が入らない
ジリ貧で余裕なくなる
...
きついな
それでもまた、関係性の中で、お金の入らない仕事を引き受ける
お金を作ることに充てる時間がなくなる
ストレス解消にお金を使う
ジリ貧...
どちらかというと、お金を借りてばかり
借りてもすぐに消えてくし
借りた金を返すのに、また借りる
返す金のことで心労が消えない
仕事を選んだり、もっと戦略を立てたい
良い事しても、お金が入らなければ、意味ない
お金が入らないなら、良い事しても意味ないと思う
「大事な時に頼りにならない」
どこまでも付きまとう呪いの言葉
結局、生きてる価値はないんじゃないかって思えちゃう
ハンドルの遊びなんかT4的に抹殺せよと
大変な時は、みんな余裕なくなる
有事に、ハンドルの遊びが
な ん の や く に た つ ?
それだけのこと
それなら最初から、ハンドルの遊びなんてなくせばいい
有事に役に立たないことを了承できないのなら、最初から生かさなければいい
期待値調整が間違ってる
それを期待するなら、実用的で無機質な災害バッグを持っておけばいい
万一の時は、それが助けてくれるだろう
災害バッグがおしゃれな必要はない
ただただ役に立つことを最優先にするものだ
綺麗事なんて、最初から持たなければいいものを!
理想や夢は、大事な時にこそ役に立たない